2011年3月11日。
当時、私は福島県の富岡第一中学校バドミントン部の
顧問として生徒と共にトレーニングに励んでいました。
すると、突如襲った大きな揺れ。
そこから生活は一変しました。
私が在籍する学校は福島第一原発から南に約10キロに位置
していて富岡町は警戒区域に指定されました。
寮生活を送っていた部員も、他の自治体に避難したり、実家に戻ったりなど、離れ離れに。
「普段の生活に戻りたい…」そんな思いを胸に秘め、避難生活せざるを得ませんでした。
生徒と再び顔を合わせることができたのは約2カ月後。
富岡高が猪苗代高にサテライト校を設置し、中学生も猪苗代で練習できることになった。
授業は猪苗代中で受け、寮は近くのロッジを借りての生活となりました。
専用の体育館があった富岡第一中時代と異なり、
狭い体育館でのやりにくい練習環境
町の体育館を借りての練習のため
練習時間は7割ほどに激減
決して恵まれた練習環境ではありませんでした。
しかし、私たち猪苗代中学校バドミントン部は
2011年夏に
全国中学バドミントン大会に出場し、
優勝することができたのです
そして2018年の夏、バドミントン界に衝撃が走りました。